書道の美術館

書道への悲願

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訪中日誌
書道への悲願

書道への悲願(1971.3.23)

半世紀以上に渉る書の道を歩いて悟り得たものは、「書は人なり、人は心なり」と云う至極平凡な言葉に過ぎない。

この平凡な言葉は書道家の誰しも言う言葉であるが、実際に行う者は稀であるように思われる。年々歳々、書芸術の名のもとに各所において開かれる書展に、入選入賞を目的とするところから、指導的立場にある人々が自己の型にはめようとしたり、または奇異を喜び時流に迎合する等、それは書の本質ではあり得ないと思う。

書とは自己の意思を文字を借りて述べるものである。文字は各人の言葉を形の上に表わすものであるから、言葉が大切である限り文字もまた大切であらねばならぬ。

かつて、昭憲皇太后は、「筆写人心、とる筆の跡はづかしとおもふかな心のうつるものときゝては」と詠じられた。これは書による人間形成の見地からの御詠と拝察される。また、奇に走り異を好む輩への頂門の一針ともいえるであろう。

近時、書の刊行物は次々と現われる。それは、いづれも日・中国の名蹟であり、法帖であり、古典として価値の高いものである。この古典は、知・情・意の三を兼備したもので、しかも美しく、そして現代の中に生きている。現代の中に生きていると云うことは、新鮮であると断じてよい。絵画的要素も音楽的リズムも、烈々たる気魄も勿論入っている、芸術の香りの高いものである。

十年前、中国を訪問して得たことは、これ等の実物を見たことと書教育のあり方とである。中国では書法と云う。文字を組立る筆順・筆法を教え、然る後、自己の美意識によって表現させている。絵画においても、巧緻画から意写画へと移行させている。この物の見方の正しさ、その表現の自由さは、実際に見て来た私に深い感銘を与えてくれ、且つ吾が意を強くした。

私は東京在住の二十一年間、書の研究を専にし、併せて本質的な書教育もして来た。戦火に追われて郷里に復帰してからも、自己の型に入れる教育はしない。いわゆる書法は教えるものゝ、個性に適した指導法を執って来た。私の研究物は戦火のため焼かれて、現在手もとには何もないが、しかし齢古稀を過ぎた今、先師豊道翁の九十三歳まで二十年、健康を保持する信念のもとに、東京時代に研究した古典の復習をして、それを遺して置くよう鋭意努力しておる。なお私を慕って来る人々に、その解明と技法、変化の妙、創作のあり方等を傳え、よき指導者の育成に努めたい。

「天地に萬古あるも、此身は再び得られず。人生只だ百年、此日最も過ぎ易し。幸ひに其間に生るゝ者は、有生の楽を知らざるべからず。亦虚生の憂を懐(いだか)ざるべからず。」

右は『菜根譚』一〇七に出ている文章である。一管の筆に吾が生涯を托した私は、虚生で終りたくない。

昭和四十六年三月二十三日

 


 

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