書道の美術館

大池晴嵐
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大池晴嵐略伝(1899〜1977)

 

愛知県江南市古知野町に生まる。本名一良(かずよし)。初め天稟、のち晴嵐と号す。また、自ら大魯、魯翁と字す。( 大魯は大池一良の略称なり) 上京し武蔵小山に居を構え東風書院、帰郷の後は古知野の居を洗塵草蘆、大海道(現在晴嵐館の敷地)の居を三猿庵、采薇窟と号す。

少時より書を善くし、父金太郎に随い犬山藩士伊賀乗勢(五峰)を師とし書を学ぶ。上京の後は東京目黒の豊道春海を生涯の師とす。また、画は母方の親類で大口町河北の仙田半耕、対石父子より益を受く。晩年は名古屋の服部承風より漢詩作法を学び、また、独学にて短歌俳句を嗜む。

書の活動に於ては、泰東書道院展で最高賞を受賞し審査員となるのをはじめ、日展五科が新設されるにあたり委嘱出品のち審査員4回、毎日書道展では設立当初より審査員をつとめる。謙慎書道会、地元中日書道会の要職を歴任。晩年は読売書展の設立に参画した。

書教育の方面に於ても、尾北高等学校の教諭として教鞭をとり、社中結社を集めて平心社(現在の東海書道芸術院)を興し後進の指導にあたる。長野善光寺大本願、中日文化センター講師など社会教育に対しても精力的に活動。

後継の嗣子青山楓谷を亡くしてより、書道の後進の育成と自らの作品の散逸を憂い、財団法人の認可を得て晴嵐館を設立し、作品の保管展示できる社会教育施設として開館した。


大池晴嵐略年譜

2019年は晴嵐2回目の還暦です

年号

干支

満年齢

事  蹟

事 項

明治32年
1899年
己亥 0歳 14日、愛知県丹羽郡古知野村(現在江南市古知野町)に生まれる 本名一良
明治43 庚戌 11歳 旧犬山藩士伊賀乗勢に就いて漢文書道を学ぶ
大正2年 癸丑 14歳 3月、古知野高等小学校卒業
大正3年 甲寅 15歳 丹羽郡大口村の素封家、仙田半耕・対石父子に南宋画を学ぶ 第一次世界大戦

豊道春海 瑞雲書道会を興す

大正6年 丁巳 18歳 苦学して早稲田大学校外生中学部を卒える  
大正7年 戊午 19歳 11月1日、丹羽郡古知野役場に勤める(大正12年5月31日まで)
大正12年 癸亥 24歳 関東大震災
大正14年 乙丑 26歳 1月、上京して豊道春海の門に入る

この頃、私塾東風書院を開く

昭和3年 戊辰 29歳 国会議員議席標を揮毫(昭和30年ころまで)
昭和5年 庚午 31歳 泰東書道院創立
昭和6年 辛未 32歳 泰東書道院第2回展において東京市長賞を受ける
昭和7年 壬申 33歳 泰東書道院第3回展において文部大臣賞を受ける 満州事変
昭和8年 癸酉 34歳 泰東書道院第4回展において最高賞東久邇宮総裁賞を受ける 謙慎書道会創立
昭和9年 甲戌 35歳 5月、泰東書道院審査員となる 中部日本書道連盟成立
昭和12年 丁丑 38歳 9月15日「楷書白詩青石」刊行(泰東書道院)
昭和13年 戊寅 39歳 5月、財団法人泰東書道院理事(昭和21年4月まで)
昭和15年 庚辰 41歳 4月、帝国女子医学薬学専門学校講師(現 東邦大学 東京大田区 昭和19年12月10日まで)
昭和16年 辛巳 42歳 7月10日「精誠報國帖行書篇」刊行(泰東書道院) 12月 太平洋戦争始まる
昭和17年 壬午 43歳
昭和18年 癸未 44歳 1月15日「葉書春秋帖」刊行(泰東書道院)

6月、厚生省嘱託 大臣官房総務課勤務(昭和20年4月まで)

昭和19年 甲申 45歳 東京空襲
昭和20年 乙酉 46歳 4月16日、戦災のため帰郷

6月1日、丹葉地方事務所内恩賜財団戦火援護会(同胞援護会)丹葉支会に勤める(昭和22年5月31日まで)

8月 終戦
昭和21年 丙戌 47歳 古知野で若草会を組織、若手書家の育成にあたる

中部日本書道会副会長

4月 日本書道美術院(旧泰東書道院)創立

11月16日当用漢字表告示

昭和22年 丁亥 48歳 6月1日、愛知県立古知野高等実践女学校講師 豊道春海 日本芸術院会員となる

3月31日教育基本法制定

5月3日日本国憲法施行

昭和23年 戊子 49歳

3月31日、愛知県立丹羽高等女学校(現在尾北高等学校)講師

9月、日展五科を設けられるにあたり出品依嘱となる

全日本書道展(毎日書道展)発足

日展に5科として書部門成立

小学校毛筆習字科廃止

昭和24年 己丑 50歳

3月31日、愛知県立小牧高等学校古知野分校講師兼務

4月5日「中等假名習字帖」刊行(交友社)

12月1日、無試験検定により、中等教員免許状(藝能科書道)受領

12月31日、高等学校教諭2級普通免許状(藝能書道)受領

東京日本橋 山本海苔店の看板揮毫

『書品』創刊

4月28日当用漢字字体表告示

10月 中華人民共和国建国

昭和25年 庚寅 51歳 7月31日、愛知県立尾北高等学校教諭(昭和33年3月31日まで) 6月 朝鮮戦争(〜28年休戦)

10月 日中友好協会設立

昭和26年 辛卯 52歳 1月1日「学書教範 行書空也上人御詞」刊行(日本書道技藝院)

6月、日展五科審査員となる(以後27年、29年、32年の通算4回)

第3回毎日展第一部審査員

日本書道美術院理事

日本書道連盟結成

4月から小中学校における毛筆習字復活

昭和27年 壬辰 53歳 4月1日、愛知県立古知野高等学校講師を兼任

全大蔵美術展覧会東海地区展「書道の部」審査員をつとめる(昭和52年まで)

昭和28年

 

癸巳 54歳

 

日展五科参事となる

名古屋市中村区中村町に転居

平心社(現在東海書道芸術院)を創設、会長となる

昭和29年 甲午 55歳 『書道講座2』(二玄社刊)に「基本の技法」「基礎手本」を執筆

愛知県教育委員会より表彰される

『書道全集』(平凡社)刊行

12月 鳩山一郎首相就任

昭和30年 乙未 56歳 「現代女子手紙十二か月」刊行(復朴會)

中部日本書道界への貢献で第8回中日文化賞受賞

『書道全集』(河出書房)刊行
昭和31年 丙申 57歳 日展参事となる

愛知県文化功労者として表彰される

12月、江南市東大海道(現在晴嵐館所在地)に転居、三猿庵と号す

昭和32年 丁酉 58歳 2月 岸信介首相就任

現代書道20人展始まる

昭和33年 戊戌 59歳 日展改組により新日展評議員となる

『書道基礎講座1』(二玄社刊)に「褚遂良風楷書の書き方」「楷書の応用作品」を執筆

3月31日筆順指導の手びき 初版発行

長崎国旗事件(日中交流断絶)

第1次訪中書道代表団

『書跡名品叢刊』発刊

昭和34年 己亥 60歳 5月10日、還暦祝賀会を自宅の三猿庵にて開く 9月26日伊勢湾台風
昭和35年 庚子 61歳 第4回現代書道二十人展に出品

3月、還暦の個展を愛知県美術館で開催

6月1日、還暦晴嵐作品集を刊行

鈴木翠軒 日本芸術院会員

7月 池田勇人首相就任

12月 ベトナム戦争(〜50年)

昭和36年 辛丑 62歳 4月27日〜5月30日、第2次訪中書道親善使節として中国訪問

この頃から長野善光寺大本願 大宮智栄・一条智光両御上人に書道の進講(昭和52年まで)

8月 日本書道会結成
昭和37年 壬寅 63歳 日本書道会発足 審査員となる 第3次訪中書道代表団

第3回日中交換展

昭和38年 癸卯 64歳 毎日書道展名誉会員となる

12月14日、中国の訪日親善使節団を私邸に招く

昭和39年 甲辰 65歳 日展脱退 10月 新幹線開業、東京オリンピック開催

11月 佐藤栄作首相就任

 

昭和40年 乙巳 66歳 3月、中道書会を創立、競書誌「中道」を創刊主宰する

9月1日「婦人手紙十二か月帖」刊行(玉泉堂)

昭和41年 丙午 67歳 10回現代書道二十人展に出品

瑞雲書道会を再興し副会長となる

5月 文化大革命発動
昭和42年 丁未 68歳 明治100年にあたり、この年の作品に「明治百年」の落款を入れる

8月〜9月、中日新聞に「書と私」を10回にわたり執筆

豊道春海 文化功労者となる
昭和43年 戊申 69歳 8月1日、嗣子、青山楓谷を亡くす

11月、古稀個展を名古屋丸栄百貨店で開催

昭和44年 己酉 70歳 11月20日、古稀晴嵐書作集を刊行 西川寧 芸術院会員となる
昭和45年 庚戌 71歳 万国博覧会の開催にあたり日本庭園に出品(「燦」)

3月1日 「点画二十八法帖」「標準行書帖」「標準いろは帖」刊行(玉泉堂)

10月 奈良墨匠勝栄堂にて「灼然年輪」を造る

11月3日、勲五等双光旭日章を賜る

9月26日豊道春海死去
昭和46年 辛亥 72歳 8月26日、財団法人晴嵐館を創立、理事長となる

中華人民共和国 国連加盟

昭和47年 壬子 73歳 日本書道連盟より表彰される 2月 札幌冬季オリンピック

7月 田中角栄首相就任

9月 日中国交正常化

昭和48年 癸丑 74歳   全日本書道連盟創立
昭和49年 甲寅 75歳   全国書美術振興会成立
昭和50年 乙卯 76歳   .
昭和51年 丙辰 77歳 6月22日、喜寿晴嵐作品集を刊行

11月、喜寿個展を名古屋丸栄百貨店で開催、喜寿祝賀会を名古屋国際ホテルで開く

11月、第1回読売書展審査員となる

毎日展名誉会員を辞退する

「錬心講堂」建設

1月 周恩来死去

9月 毛沢東死去

昭和52年
1977年
丁巳 78歳 2月11日、晴嵐館の研修施設「錬心講堂」竣工

9月29日、病気療養中のところ永眠(高雲院釈晴嵐)

正六位を賜る

7月 文化大革命終結宣言
         

 

公益財団法人 晴 嵐 館