年号 |
干支 |
満年齢 |
事 蹟 |
事 項 |
明治32年
1899年 |
己亥 |
0歳 |
2月14日、愛知県丹羽郡古知野村(現在江南市古知野町)に生まれる 本名一良 |
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明治43年 |
庚戌 |
11歳 |
旧犬山藩士伊賀乗勢に就いて漢文書道を学ぶ |
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大正2年 |
癸丑 |
14歳 |
3月、古知野高等小学校卒業 |
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大正3年 |
甲寅 |
15歳 |
丹羽郡大口村の素封家、仙田半耕・対石父子に南宋画を学ぶ |
第一次世界大戦
豊道春海 瑞雲書道会を興す |
大正6年 |
丁巳 |
18歳 |
苦学して早稲田大学校外生中学部を卒える |
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大正7年 |
戊午 |
19歳 |
11月1日、丹羽郡古知野役場に勤める(大正12年5月31日まで) |
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大正12年 |
癸亥 |
24歳 |
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関東大震災 |
大正14年 |
乙丑 |
26歳 |
1月、上京して豊道春海の門に入る
この頃、私塾東風書院を開く |
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昭和3年 |
戊辰 |
29歳 |
国会議員議席標を揮毫(昭和30年ころまで) |
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昭和5年 |
庚午 |
31歳 |
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泰東書道院創立 |
昭和6年 |
辛未 |
32歳 |
泰東書道院第2回展において東京市長賞を受ける |
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昭和7年 |
壬申 |
33歳 |
泰東書道院第3回展において文部大臣賞を受ける |
満州事変 |
昭和8年 |
癸酉 |
34歳 |
泰東書道院第4回展において最高賞東久邇宮総裁賞を受ける |
謙慎書道会創立 |
昭和9年 |
甲戌 |
35歳 |
5月、泰東書道院審査員となる |
中部日本書道連盟成立 |
昭和12年 |
丁丑 |
38歳 |
9月15日「楷書白詩青石」刊行(泰東書道院) |
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昭和13年 |
戊寅 |
39歳 |
5月、財団法人泰東書道院理事(昭和21年4月まで) |
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昭和15年 |
庚辰 |
41歳 |
4月、帝国女子医学薬学専門学校講師(現 東邦大学 東京大田区 昭和19年12月10日まで) |
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昭和16年 |
辛巳 |
42歳 |
7月10日「精誠報國帖行書篇」刊行(泰東書道院) |
12月 太平洋戦争始まる |
昭和17年 |
壬午 |
43歳 |
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昭和18年 |
癸未 |
44歳 |
1月15日「葉書春秋帖」刊行(泰東書道院) 6月、厚生省嘱託 大臣官房総務課勤務(昭和20年4月まで) |
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昭和19年 |
甲申 |
45歳 |
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東京空襲 |
昭和20年 |
乙酉 |
46歳 |
4月16日、戦災のため帰郷
6月1日、丹葉地方事務所内恩賜財団戦火援護会(同胞援護会)丹葉支会に勤める(昭和22年5月31日まで) |
8月 終戦 |
昭和21年 |
丙戌 |
47歳 |
古知野で若草会を組織、若手書家の育成にあたる
中部日本書道会副会長 |
4月 日本書道美術院(旧泰東書道院)創立 11月16日当用漢字表告示 |
昭和22年 |
丁亥 |
48歳 |
6月1日、愛知県立古知野高等実践女学校講師 |
豊道春海 日本芸術院会員となる 3月31日教育基本法制定
5月3日日本国憲法施行 |
昭和23年 |
戊子 |
49歳 |
3月31日、愛知県立丹羽高等女学校(現在尾北高等学校)講師
9月、日展五科を設けられるにあたり出品依嘱となる |
全日本書道展(毎日書道展)発足
日展に5科として書部門成立 小学校毛筆習字科廃止 |
昭和24年 |
己丑 |
50歳 |
3月31日、愛知県立小牧高等学校古知野分校講師兼務
4月5日「中等假名習字帖」刊行(交友社)
12月1日、無試験検定により、中等教員免許状(藝能科書道)受領
12月31日、高等学校教諭2級普通免許状(藝能書道)受領 東京日本橋 山本海苔店の看板揮毫 |
『書品』創刊 4月28日当用漢字字体表告示
10月 中華人民共和国建国
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昭和25年 |
庚寅 |
51歳 |
7月31日、愛知県立尾北高等学校教諭(昭和33年3月31日まで) |
6月 朝鮮戦争(〜28年休戦)
10月 日中友好協会設立 |
昭和26年 |
辛卯 |
52歳 |
1月1日「学書教範 行書空也上人御詞」刊行(日本書道技藝院)
6月、日展五科審査員となる(以後27年、29年、32年の通算4回)
第3回毎日展第一部審査員
日本書道美術院理事 |
日本書道連盟結成
4月から小中学校における毛筆習字復活 |
昭和27年 |
壬辰 |
53歳 |
4月1日、愛知県立古知野高等学校講師を兼任
全大蔵美術展覧会東海地区展「書道の部」審査員をつとめる(昭和52年まで) |
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昭和28年
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癸巳 |
54歳
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日展五科参事となる
名古屋市中村区中村町に転居
平心社(現在東海書道芸術院)を創設、会長となる |
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昭和29年 |
甲午 |
55歳 |
『書道講座2』(二玄社刊)に「基本の技法」「基礎手本」を執筆
愛知県教育委員会より表彰される |
『書道全集』(平凡社)刊行 12月 鳩山一郎首相就任 |
昭和30年 |
乙未 |
56歳 |
「現代女子手紙十二か月」刊行(復朴會)
中部日本書道界への貢献で第8回中日文化賞受賞 |
『書道全集』(河出書房)刊行 |
昭和31年 |
丙申 |
57歳 |
日展参事となる
愛知県文化功労者として表彰される
12月、江南市東大海道(現在晴嵐館所在地)に転居、三猿庵と号す |
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昭和32年 |
丁酉 |
58歳 |
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2月 岸信介首相就任
現代書道20人展始まる |
昭和33年 |
戊戌 |
59歳 |
日展改組により新日展評議員となる
『書道基礎講座1』(二玄社刊)に「褚遂良風楷書の書き方」「楷書の応用作品」を執筆 |
3月31日筆順指導の手びき 初版発行
長崎国旗事件(日中交流断絶)
第1次訪中書道代表団
『書跡名品叢刊』発刊 |
昭和34年 |
己亥 |
60歳 |
5月10日、還暦祝賀会を自宅の三猿庵にて開く |
9月26日伊勢湾台風 |
昭和35年 |
庚子 |
61歳 |
第4回現代書道二十人展に出品
3月、還暦の個展を愛知県美術館で開催
6月1日、還暦晴嵐作品集を刊行 |
鈴木翠軒 日本芸術院会員
7月 池田勇人首相就任
12月 ベトナム戦争(〜50年) |
昭和36年 |
辛丑 |
62歳 |
4月27日〜5月30日、第2次訪中書道親善使節として中国訪問
この頃から長野善光寺大本願 大宮智栄・一条智光両御上人に書道の進講(昭和52年まで) |
8月 日本書道会結成 |
昭和37年 |
壬寅 |
63歳 |
日本書道会発足 審査員となる |
第3次訪中書道代表団
第3回日中交換展 |
昭和38年 |
癸卯 |
64歳 |
毎日書道展名誉会員となる
12月14日、中国の訪日親善使節団を私邸に招く |
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昭和39年 |
甲辰 |
65歳 |
日展脱退 |
10月 新幹線開業、東京オリンピック開催 11月 佐藤栄作首相就任
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昭和40年 |
乙巳 |
66歳 |
3月、中道書会を創立、競書誌「中道」を創刊主宰する
9月1日「婦人手紙十二か月帖」刊行(玉泉堂) |
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昭和41年 |
丙午 |
67歳 |
第10回現代書道二十人展に出品
瑞雲書道会を再興し副会長となる |
5月 文化大革命発動 |
昭和42年 |
丁未 |
68歳 |
明治100年にあたり、この年の作品に「明治百年」の落款を入れる
8月〜9月、中日新聞に「書と私」を10回にわたり執筆 |
豊道春海 文化功労者となる |
昭和43年 |
戊申 |
69歳 |
8月1日、嗣子、青山楓谷を亡くす
11月、古稀個展を名古屋丸栄百貨店で開催 |
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昭和44年 |
己酉 |
70歳 |
11月20日、古稀晴嵐書作集を刊行 |
西川寧 芸術院会員となる |
昭和45年 |
庚戌 |
71歳 |
万国博覧会の開催にあたり日本庭園に出品(「燦」) 3月1日 「点画二十八法帖」「標準行書帖」「標準いろは帖」刊行(玉泉堂)
10月 奈良墨匠勝栄堂にて「灼然年輪」を造る
11月3日、勲五等双光旭日章を賜る |
9月26日豊道春海死去 |
昭和46年 |
辛亥 |
72歳 |
8月26日、財団法人晴嵐館を創立、理事長となる |
中華人民共和国 国連加盟 |
昭和47年 |
壬子 |
73歳 |
日本書道連盟より表彰される |
2月 札幌冬季オリンピック 7月 田中角栄首相就任
9月 日中国交正常化 |
昭和48年 |
癸丑 |
74歳 |
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全日本書道連盟創立 |
昭和49年 |
甲寅 |
75歳 |
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全国書美術振興会成立 |
昭和50年 |
乙卯 |
76歳 |
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. |
昭和51年 |
丙辰 |
77歳 |
6月22日、喜寿晴嵐作品集を刊行
11月、喜寿個展を名古屋丸栄百貨店で開催、喜寿祝賀会を名古屋国際ホテルで開く
11月、第1回読売書展審査員となる
毎日展名誉会員を辞退する
「錬心講堂」建設 |
1月 周恩来死去
9月 毛沢東死去 |
昭和52年
1977年 |
丁巳 |
78歳 |
2月11日、晴嵐館の研修施設「錬心講堂」竣工
9月29日、病気療養中のところ永眠(高雲院釈晴嵐)
正六位を賜る |
7月 文化大革命終結宣言 |
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