書道の美術館

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第1話

田舎の神童

―親爺が造った偶像 伊賀先生に教えられる―

よく人から尋ねられることは、先生はいつごろから字を習われました、ということだ。私は即座に8歳からと答える。好きでしたかの問いには、好きでもないが嫌いでもない。ただ、親爺(おやじ)が何と思ったか、田舎(いなか)者のくせに唐墨唐筆をかって来て字を書き出した。見ていると面白そうだから、坊も書いてみるといったら、書いてみろと親爺が笑った。たしかに「仁者寿」という語句だったと思う。小学校で習うのとは違って、大きな筆に墨を一ぱいつけて画仙紙に書く。頗る快適である。子供のことだから、それの可否はわからない。親爺は毎月一回名古屋へ出掛けて行った。帰って来ると必ず別の語句を書き出す。従って私もそれを書く。そんなことが半年ばかり続いたある日曜の朝、親爺が「一良、名古屋へ伴れていってやる」遊びに行けると思って喜んでトテ馬車に乗って名古屋へ行った。着いた所は親爺の先生である伊賀乗勢師宅で、そこで初めて先生を知った。私は先生の門にはいるのだとは思っていない。親爺について行っただけである。先生もまた何ともいわない。親爺は雑談半刻の後、「霜葉紅於二月花」の一句と五言絶句とを書いてもらった。私は先生の執筆を見て驚いた。親爺とは大分違っている。

このことがあってからまた半年を経過し、私の書く態度も変わってきた。親爺は何時の間にか筆を捨てて、専ら私の書に期待をかけるようになった。

私は子供である。遊び盛りである。親爺と面白く書き合うことは楽しいが、独り書くのはいやである。時々サボッて書かない時がある。親爺は容赦なく鉄拳を揮う。私は親爺のお相手として書いているだけで「自分の意志ではない」と反抗心を持つようになった。

ところが、誰いうとなく、金さんとこの伜(せがれ)は字が上手だそうだ……とうわさされるようになって、それが私の耳にも入ってくる。まんざら悪い気もしない。加うるに親爺に連れられて諸方へ席書きに出る。諸所ではお世辞に賞めてくれる。

しかし私の頭痛の種になったのは、親爺が諸人のお世辞に対して、いささかも謙虚でなく、かえって自慢の鼻高々と、伜は何でも教えれば、即座に書きますよ、と約束手形を乱発することであった。

私は子供心に悲しかった。伊賀先生をわずらわす余裕のない時は、前田黙鳳の著書『真行草大字典』を自分で見て造形したりした。親爺の約手を不渡りにするに忍びなかったからである。

小学五年のころと記憶するが、町役場に永田豊美という学者がいた。旧長野県士族で愛知県丹羽郡秋津尋常小学校初代の校長として徳望のあった人である。この永田先生の下へ漢文を習いにいった。もちろん親爺の指し金で、いきなり『古文真宝』(木版本)の素読である。永田先生は笑って、十歳の童子古文真宝を読むか、といった。

『秋風辞』、『前後赤壁賦』を半年かかって暗誦するようになった。この先生は実に細楷の名手であったので、郡視学岡野直方が古知野町長にすわったとき、退官した永田先生を書記として学務係に聘召したのであった。素読だけのはずであったのに、この先生、十歳の童子に大意まで教えてくれた。そして「一良よ、文字を弄するなよ、おろそかに書くなよ」とさとしてくれた。後年先生のありがたさがわかった。

伊賀先生は私の上達を喜んで天禀の才ありとして「天禀」の号をつけてくれた。親爺の自慢に油をかけたわけである。親爺さん、伊賀先生の添書でももらったらしく、時の丹羽郡長岸田浩の官舎へ私を伴って行った。岸田郡長は私の執筆を見て、伊賀君が天禀と称しただけあるナア、よし乃公(わし)が印を遣(や)ろう、と即座に自分の雅印の一部を切って「大池氏、天禀」と刻してくれた。昔の官吏は士族出が多く、詩書、南画、篆刻(てんこく)などの文人趣味を持っていたようだ。伊賀先生も尾張犬山藩士で、小学校教員、初代丹羽郡書記であった。

こうなると「自分の意志ではない」と反抗してサボるわけにいかない。親爺は次々と看板だとか墓標まで引き受けてくる。学問もしなくてはならない。大町桂月の『通読日本外史』を読んで木版本を見たり、結城蓄堂編する『和漢銘詩抄』を読んだり、趙子昂の三体千字文を習ったり、親爺の約手乱発に備えて、子供なりに責任を果たすべく奮闘した。

いまでも目を閉じると、手織り竪縞(じま)の着物に竹皮の草履(ぞうり)をはき、提灯(ちょうちん)をさげて永田先生の所へ通う姿、手織りだが絹の着物に紋付きの羽織、それに袴をはいて親爺に伴われて席書きに行く姿がはっきりと浮んでくる。白雲頭の神童?それは親爺が造った偶像である。

しかし書家になる基礎になった事には間違いない。

(中日新聞 昭和42年8月24日 「書と私」1)

 


 

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