書道の美術館

書と私3

ホーム
上へ
書と私1
書と私2
書と私3
書と私4
書と私5
書と私6
書と私7
書と私8
書と私9
書と私10

第3話

紺絣着た先生

―冷汗流した箱書き 役立った半耕先生宅の3年―

人間は空気を吸うだけでは生きて行けない。私は私の兄が豊橋で製糸工場を営んでいるのを頼って行った。打開策が得られると思ったからである。しかしそれは得られなかった。字を書く私は重宝がられはしたが、そこを飛び出して、筆硯を背負って静岡県へ遊歴書家の旅へ出た。随分思い切った行動である。

もちろん知人があったから、その知人から知人へと渡り歩いたわけである。私の書くものは顔法を基にした教育勅語や、徳川家康の遺訓、その他吉祥語類が多かった。席書もやってのけるので、大方(おおかた)の興感を与えた。これは半耕先生宅での約三年の見聞がそうさせたのである。どんな人が見ているかわからないが、度胸でいこうという、われながらあきれる次第であった。

静岡市から安倍郡、榛原郡、江尻と2ケ月巡って、益になるものはあまりない。江尻で兼高寿閣という米屋の若旦那で地方での書家と友達になったことと、巴実科高等女学校で奈良女高師出の先生から、大塚治六先生の書翰を見せられて、その鮮やかな墨線にび

そろそろ郷愁を感じた。だが豊橋へは帰れない。岐阜県多治見に叔父がおり、手紙を出したら、来てもよいという。渡りに舟と叔父を頼った。

叔父は私の幼年からのことを知っていた。私の希望も協力してやろうという。ありがたいことである。早速と叔父が宣伝してくれた。もつとも神童(?)時代の書を叔父が持っていたし、顔の広い叔父だから、このPRは効果があつた。私も紹介された人達に失望されぬように努力した。ここでも半耕先生宅の三年が役に立ったのである。

書の頒布会をやってやろうという旦那衆が出て来た。私は全知を揮ってこれにこたえ。紺絣(こんがすり)を着た19歳の書家の卵、これがどう孵化するか、後援者は見守ってくれているのだ。

書を教えてくれという者が、かなりあるので、小学校のある山麓の弘法堂を借りて、教授を始めた。書道教授とは、いかに心臓の強い私でもいえない。書の“手びき”と看板に書いた。後での話だが、校長先生が私の謙虚さをほめてくれたそうだ。

大正六年の晩秋、いまから50年の昔のことである。鮨屋と書塾はどこにでもあるという現代とは違って、多治見の町には書塾なんか一軒もない。紺絣着た先生に興味を抱いた中年から青年、学童が次々に習いに来る。お蔭と繁盛する。町の有力者が県へ陳情する書類の浄書を頼みに来る。印刷屋が石版の原稿を書いてくれという。何でもハイハイと書いていたら、陳情書が気に入ったらしく、別の茶人が会席の目録?(器は何焼 作者は誰 菓子は何 料理は何)を書いてくれという。見本を見たら仲々達筆である。とても書けませんと辞退したら、明後日に迫つている、京都まで行っておられぬからどうでも書いてくれと、拝まれた時には、さすがの私も汗が出た。まあ勉強になりますからと引き受けて二日かかって5組書いて渡した。行成風を真似て趙子昂の筆法で書いたら大いに喜ばれた。

またある時、箱書きをしてほしいと迎えの人がやって来た。出向いた先は多治見有力の商家で、出された軸は何と六本、多分、頒布会の画であろうと思われたが、良い出来ですナア、私ごとき者では書けません、と辞退したら、主人公手を振って、識ってますよ、書いてくださいよ、と頼まれる。陳情書や目録は書き損じたら何枚でも書き換えられるが、箱書きは一本勝負である。墨はすでに店員が磨り終わったところだ、目をつむったら、半耕先生が箱書きする姿が浮かんだ。ヨシ、ジヤと私の脳が書けと命じる、私は主人の原稿通りに書いた。それは箱書きに対する私の知識が無かったからである。

主人は喜んで酒肴を供してくれた。帰りにお礼の印といって金一封くれた。帰って見たら武内宿禰が三枚入っている。三円である。教育勅語一枚書いて五十銭しかくれない時世に、箱書き六本で金三円也。私は瞼が熱くなった。

弘法堂の前に陶器画を書く安藤さんという歌人がいた。私はあえて歌人という。それは撰者に関係なしに、詠進歌に次点となったくらいで、「暁山雲」の御題を

 恵邪の嶺は重なる雲に覆はれて暁白し美濃の国原

と詠じた。

歌の技巧は識らぬが、ありのままを美しく表現した純真さに、私は安藤さんが好きになり、安藤さんも私に好意を持ってくれ、歌の手ほどきをしてくれるようになった。

それが縁となって、学校長とも両三度歌会で面晤(めんご)するようになった。学校長は歌もうまいが字も上手で、皆が差し出す詠草を、すらすらと書いた。実に達筆である。この校長が私の書を黙って見ていてくれた慈顔、多治見時代の最大の思い出である。

(中日新聞 昭和42年8月28日 「書と私」3)

 


 

公益財団法人 晴 嵐 館