書道の美術館

書と私9

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第9話

書芸漫言

―紙上にわが魂あり 悔いなき筆を剣とせよ―

よく書道という言葉がはんらんしている。書道とは何ぞやと問うと、字を書く筋道だと答える。手習いのことである。したがって書道教授とは手習師匠を意味するものが多いようだ。

茶道とは、茶の湯によって、和、敬、清、寂を体得せしめ、その人の性(さが)の向上を目図としているともれ承っている。

華道とは、花を活けることによって花を知り、花を愛することによって平和をこいねがう意が含まれ、立花の姿に自己を反省する。これが華道の精神だと聞く。

武道だって、剣によって身を守り、国を護るもので、単に人を害するものではない。書道とは、ただ文字を習うだけでなく、書によって品性を高めることに意義がある。この意義をあまり拡張して国民精神と結びつけたので占領軍の忌避にふれた。

品性を高め、情操を豊かにし、平和を愛好するところに書の道が存する。

芸術とは何ぞやと問うと、芸術は芸術だと答える人が多いようだ。辞書をひもとくと技芸と学術のことで才能を意味すると書いてある。

私は、これを通俗的によく知人に語ることがある。徳川夢声の朗読「宮本武蔵」を聞いていると、武蔵の姿やその場所が浮かんでくる。菱田春草の「落葉」をみると彩管の美に打たれる。横山大観の「富嶽」に接すると崇高な感が湧く。宮城道雄の箏曲「水の変態」を聞くと和やかな清澄な気に浸る。その他彫塑工芸、演劇等々、見る者聞く者に美的感動を与える技能、それが芸術だ。芸術は広い、国際的なもので、鳥獣すらも感動する場合がある。書の方は文字を対象とするので外人には理解されにくいが、それでも平安朝のかなを見せると、料紙の美しさ、線の流れなどに興感を持つし、隠元や木庵などの一行物が茶室に掛かっていると、簡素な墨線が閑寂清潔な室にマッチしているので、この美を見逃しはしない。

だが鳥獣は文字には無関心だ。ただ赤色で書いたものを見せると驚くことはある。

知人が時々来て難問を発する。

「O展を見たら、日本画と洋画と区別がつかぬ」という。「それはネエ、全部日本人が画いたのだから同じだろう。油彩で画くのが洋画といい、ニカワ彩のことを日本画と呼ばれている」といったら、半分わかったような顔をした。「なぜ昔のような墨絵を書く人がおらぬ」というので、「他の会にはいるだろう。O展も以前はいたが、段々とエライ画家が他界されると、その後を続ける者が無くなるんだ。洋画の画風だって変遷があるんだ。書だって昔の鳴鶴流や鷲堂流は薬にしたくてもないゾ。しかし鳴鶴や鵞堂から変形したものが、新しい分野をひらいている。なかなかエエゾといったら、「エエかわるいか、オレは知らンが、同じようなモノばかりたくさん並んどる。仮名を入れて七、八種類だ。あれが書の芸術か」と問うので、「私は芸術だとは思わぬが一種の美術である」と答えた。

苦しい答弁であるが仕方がなかった。

人にはそれぞれの個性がある。個性を活かした書の勉強は、誰でもできる。現に書壇一線の人々は、皆一流を成している。だのに……と思うとイヤな気がした。以上は一昨年の春、私と知人との談議の一コマである。

書の美には種々ある。形態の整った変形の美、墨線の重厚な美、躍動の美、軽快な美、連綿の美などがある。この美は、濃墨、青墨、茶墨などの墨滴、または絵具を介して、書者の感情が筆をかりてかもし出すものである。

随って古典を仿(なら)うとか、師匠の手本を習うとかは、いわゆる習字である。習字のお清書は、あくまでお清書であって、作品とはいい難い。しかしひと度それが自分のものになり、感情が爆発して画き出されたときには、作品といえよう。それは自己の意が動き、古典の粕を拭い、師匠の掣肘(せいちゅう)を受けないからである。古人のいう「法に入って法を出で」た境地を体得したからである。

私がかつて10年前詠じた歌がある。

墨線の 画がかれて行く 紙の上に わが魂あり 悔ゆることなし

私は門人によくこの歌を示したものだ。そして古典を見よ、その神髄をつかめ、古典を忘れよ、ある物を創造せよ、そして画け。一本勝負、悔いなき筆を剣とせよ。こう叱咤激励したものだ。それからもう10年になる。

最近、この一題十話を書き出したころから、東京時代の友人が、週刊誌の話題に上った。私は眼の保護のため、週刊誌と絶縁しているので、知らない。諸所から話してくれる。私は友人の昔を知っているから、興味がない。結ばれるべくして結ばれ、離るべくして離る。自然の成り行きで、第三者の容喙(ようかい)すべきことでない。75日過ぎたら冷静になって、忘れられていく。早野勘平のセリフじゃないが「ズント些細な内緒ごと」で、天下国家に関係ない。

(中日新聞 昭和42年9月5日 「書と私」9)

 


 

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