書道の美術館

書と私2

ホーム
上へ
書と私1
書と私2
書と私3
書と私4
書と私5
書と私6
書と私7
書と私8
書と私9
書と私10

第2話

画業落第

―絵と書とパンと… 祖母の里で三年努力―

16歳の時、画家になろうとした。それは親爺(おやじ)が事業に失敗したため、一家離散することになり、私は祖母とともに祖母の里に引き取られた。そこは愛知県丹羽郡大口村大字河北(こぎた)という純農村であるが、村の素封家で仙田半耕という南宋画を書く人がいた。だから半耕先生に絵を習って大成したいと思ったのである。

祖母の里はいわゆる水のみ百姓であるから、勢い働かざるを得ない。幸い名古屋市上水道敷設工事が始まって、犬山の木津事務所の給仕兼事務見習に雇われ、めしにありつくことになった。ここに技手の長谷川さん、書記の西島さん、堀さん、その他小川さんなどの理解ある人がたくさんいて、励ましてくれるだけでなく、私のために筆墨の資まで作ってくれた。

夜は半耕先生宅へ出向し、画室のお手伝いに専念した。だが先生の令息対石氏が花烏を教えてやると引っ張って行かれるので困った。

半耕先生も対石氏も昼間は人の出入りであまり画は書けぬらしく、専ら夜、ランプの光で書いていた。私にはそれが幸いでお手伝いするのが楽しかった。

この大地主の旦那は、旦那芸ではなかったようで、とくに半耕先生は詩書画兼備の先生であった。この片田舎へ遊歴する画家、画家ばかりでなく書家も来て滞在する者が多かった。

私のいまの記憶に残っている書家が二人ある。一人は中条吼洲氏、いま一人は安江五渓氏で、ともに中国を巡ってきた人達で、隷(れい)書を得意としていた。吼洲氏は今隷(きんれい・整った版下になるような)を書き、五渓氏は古隷(漢隷―素朴で自由な中に品のある)を書いていた。そして人物は吼洲氏の温容玉の如きに対し、五渓氏は気骨稜々たる学究膚の士であった。従って、金になる、ならぬの現実を私は悟った。もちろん私は両者の執筆法を会得するのに時問はあまりかからなかった。

画の方では、伊藤芳峡、朝見香城の両氏が記憶にある。芳峡氏はのんべで快活、香城氏は書生ツポで堅実型、芳峡氏は人物が得意、香城氏は花鳥だったが鯉魚の図が大衆の目を引いた。この両者のデッサンの正確なことと、線の美しさは、私の書に益するところが多いのを今にして憶(おも)うものである。

芳峡氏の父君は「紫浪」と号して、元岐阜県知事官房にいた書家で大した実力を持っていた。これが東京に住んでいたら、大物になったろうと思う。今にして憶うことは、この父君大酒家で、アノ道は鬼才であったという。芳峡氏も相当なもののようだった。この芳峡氏に私は人生とは何ぞやという、軟派的な事を、無言のうちに識らされた。

半耕先生の画室は12畳間で欄間に村瀬太乙の「余力閑読」の額が懸っていた。墨痕淋漓、威あって猛からず、実に名作である。おまえは地主でも農業は農業じゃ、農家とともに生きて行け。余暇があったら詩も作れ、画も書けと訓したものである。半耕先生は、この教訓を堅持して、その生活態度を慎んでいた。しかし令息の対石氏はお坊ちゃんであった。

私は画を学ばねばならぬ、しかし年え3、4回、画の頒布会が催されると、席書に狩り出されるので、その方の力も養わねばならぬ。幸い貫名萩翁の海屋時代の書があったり、大域、易堂、太乙の書に接したり、半耕先生の画讃の執筆などを見て、糧にしてはいるものの不安は覆うべくもない。普通学も乏しい。そこで早稲田大学中学講義録を取ったり、日本習字学講義を取ったりして、ひそかに勉学をすることにした。

ここで私は、坪内雄蔵(逍遥)の修身と、岡田正美の習字、五十嵐力の作文、その他国語、漢文等に小学教育に得られなかった数々のものを身につけることができた。

画の方では日高秩父の雄大で重厚な顔法を(小学校でもそうであった)改めて把握した。親から養われない、自分で働きながら学ぶ者の歓びは、その体験を経た者以外にはわからぬであろう。

この生活が2年半続いたが遂に終末が来た。パンに離れたのである。名古屋市上水道送水路の完成である。職を離れた私は農業の手伝いはできぬ。文房具の行商をしたりしてしばらくは続けたものの、半耕先生の奥さんが急逝され、傷心の老先生に、ござひき(老人の後妻)が来たりして、足を運ぶのがいやになった。画業の大成を夢見た私ではあったが、私は自ら落第することにした。

このころから小作騒ぎがボツボツ始まった。お坊ちゃんの対石氏は面倒くさいと逃げてしまう。若奥さんは名古屋から来たお嬢さんで、どうしようもない。

私の落第は、自然がそうさせたのだ。私はいま回顧すると、楽しい3年であった。書にプラスすることが非常に多かったのである。「余力閑読」の太乙筆がいまも髣髴(ほうふつ)とする。

(中日新聞 昭和42年8月25日 「書と私」2)

 


 

公益財団法人 晴 嵐 館