書道の美術館

書と私6

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第6話

師の面影

―三猿主義の伊賀先生 豊道師から禅棒の一撃―

ここで私は師匠のことに触れてみる。

第一の師は伊賀乗勢で、五峰と号し三猿居士と称していた。頼山陽の門人村瀬太乙に犬山藩で学んだ。書は山陽風を学んだが、のち米元章や文徴明を好んで一家を成した。幕末の下級藩士の生きる道は、廃藩後相当の苦難が伴つたと思われる。しかし師は薩長政府にとりいる栄進の道は求めず、里の童の師に甘んじていた。小学校令が出て教員となり、郡制が布かれて郡書記となったが、致仕して三重紡績に入社しておわった。

この先生は、不言実行型で、人を教えはしたが諭しはしなかった。力のある者だけがついていける先生だ。武士だから礼儀は至って正しい。しかし人情の何ものかを識っていた。その一例は、菊池半九郎を地で行って、犬山の妓楼で妓女を身請けして妻とした。この奥さんは才色兼備で先生への内助の功は輝かしかったと私は私の祖母から聞いた。それは私の生家と伊賀家とが向かい合っていたからである。私が白雲頭の悪童のころは、先生は名古屋に住んで家はあき家になっていた。時おり、美しいお嬢さんが掃除に来たりしていた。

この先生が私の父に「おまえは止して、せがれに習わせよ」とさとしたそうだ。私が父に伴われて出頭しても、筆法の説明も、可否も、何もいわない。ただ自分の左側に私を座らせて、チラッと一べつ、私の視線が紙に注がれると、サツと筆を下ろし、息もつかせぬ速度で書く。私は先生の運筆を私なりに視覚で追う。それだけである。

後日清書を持っていくと、唐墨をくれたり、拓本をくれたりするが、菓子は一度ももらったことがない。家で父から技巧を教わって持って行くと厳しい表情を示すが、あとで笑うのみである。

ある時、父が、これはワシが書くのだがナモといって、江戸の詩人・雷首が時の才媛亀井小琴に贈った五言絶句「二八誰家女 嬋娟真可憐 君無王上鮎 我為出頭天」これに答えた小琴の「扶桑第一梅 今夜為君開 欲識花真意 三更踏月来」を書いてくれといった。先生は微笑して書いたが、帰りに「坊主!これは大人の書くものだ、子供の書くものではない」といった。

それから二十幾年、私が文部大臣賞を得た翌年、先生が知己の丹羽靖明君を帯同して突如私の宅へ来られた。私は欣然として歓待に努めた、先生は三杯の酒、小量の肴、一椀の汁、一杯の飯、それ以上は召し上がらない。「酒は結構なものだがナア、わしは不平がないで、三杯の酒で血行がよくなった。ありがとう、ありがとう」といった。
先生記念に「東風書屋」と書いて下さいと頼んだら、上機嫌で、よし、よしと筆を執った。身体がシャンとした、昔の先生そのままである。七十八翁五峰題と落款を入れた。実に若々しい潤のある書である。とかく技巧に走っている私は、ガーンと一発お面をとられたのだ。

この先生、それから五年後に他界されたのだが、臨終の際、お題目を唱えよという家人の言に答えていわく「わしは何も悪い事しとらん」と、眠るが如く逝ったそうだ。

現在、私はこの先生の三猿を盗用している。それは三猿主義に徹した先生をしのぶことに他ならぬ。先生は冥土で見て静かに微笑しているであろう。

第二の師は仙田半耕である。半耕先生も私を弟子だとは思っていない。気の毒な青年(昔は15以上は青年の部にはいった)だぐらいに思って、家の空気を吸って一人前になれたら、それでよい、という程度であった。だが、素封家の旦那様であり、文人であったので、可愛がってくれた。それは食うということで、ひもじい目をさせたくないという惻隠(そくいん)の情に他ならない。だが、私は文人画の墨線に神経をとがらせていた。気分的に画く半耕先生は、机の傍らに酒器を置いた。チロリと称する火鉢の灰の中に入れて温める酒器……それで、チビリ、チビリのむというより、たしなみながら、画筆を動かしていた。来客があると形式的な言葉は抜きで画く。そして快作に結びつく、それは真剣勝負を意味しているらしい。

私が半耕先生から得たものは、気分=酒=真剣まったなしの姿である。

第三の師は豊道春海である。先生は五黄の寅で気性の激しい人であると聞いたが、私が入門した時は温和であり寛裕であった。田舎者の私を快く迎えてくれたし、初めから研究の自由を認めてくれた。酒ものむが、のむと歌う。書の道を大いに鼓吹し、日本精神と結びつける。天台宗の僧だが仏道を書によって布教の一端にしようという一大悲願を建てていた傑僧で、沢庵和尚の再来だと私は思う。

私はこの先生に絶えず禅棒の一撃をくらって成長した。私は先生の偉業をたたえたいが、現存しておられるから、この辺で止めるが、この師の道に背かぬ覚悟だけは持っている。

(中日新聞 昭和42年8月31日 「書と私」6)

 


 

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